寸法:48.2 x 32.3mm 量目:21.6g 盛岡藩(南部)は、幕末〜戊辰にかけて軍用資金の為に八匁銀判を鋳造、また、尾去沢銅山よりの産銅で天保通寶100文銭を密鋳しました。時は慶應4年、盛岡銅山100文、天保通寶100文を鋳造しました。南部天保は初期のものには黄褐色の物もありますが、全体に赤褐色に黒ずんだ銅色の物が一般的です。この銅山手は、盛岡銅山の通字が似ていることより命名されました。また、通字のマ頭通が大きく、寶字が押されているように見えます。また、本銭は未使用の光沢を残る良品です。